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スマナサーラ長老、日本に仏陀の教えを伝えに来てくださり、ありがとうございます。RUclipsで繰り返し仏陀の教えを聞くことができる奇跡✨ヴィパッサナー瞑想者は痺れます。
ありがとうございました。20:40 自分用
🪷生きとし生けるものが幸せでありますように🙏配信ありがとうございます。
何時も見ています。動画の御配信有難うございます。
いつも最高に痛快な法話を!ありがとうございます!!🙏
生きとし生けるものが幸せでありますように( ^∀^)あらゆる宗教概念、存在論などは成り立たないということですね。ものすごい智慧ですね。三宝に感謝!!配信ありがとうございました😊
30:00〜 奴隷遺伝子のお話。本来の仏教と他宗教の違いを明確に説明されたように感じました。最後の「ゴミ山掃除」も、なるほどなぁ…と1人うなずきながら聞いていました。この認識が失われて?大乗仏教やテーラワーダ内でも、人間の本性に抗えず違う方向に頑張ってしまうのでしょうか?
日本人は文化的にアニミズムが根本にあって、万物に神が宿るということに無意識に賛同してるから全てに仏が宿るという言葉も受け入れやすいのかな、思いました。これは直感であって、理性的であれ、という教えとは反しますね。
ああ、私はゴミの山であったのか・・・。
この動画はすごいですね、空とは有であり無である量子力学の世界ですから、それを2600年前に圧倒的な体感で悟られたお釈迦様はほんとにすごいですそのお釈迦様の教えを現在まで忠実に伝えて下さっている長老始め協会の皆さまのご尽力に感謝申し上げます🙏
あらゆるジャンルに言える事ですが、死ぬほど頑張って解る、微妙なことがあります。誤解を恐れず言えば、武道やスポーツなどに多い…。微妙な間合い、勘。言葉で考えていたら、到達出来ない。いい大学出ているのにダメな人がいる。実社会の厳しい事実社会、実際を知らない。文字としは正しいが、実際にはそうではない。己を含め、醜く弱い人間を知らない、解らないから。文字を何字数えても解る訳はない。
一切は空なり。上座仏教も大乗仏教も無い。言葉があるだけ。一切無執著。
『衆生本来仏なり? すべての宗教哲学に引導を渡す56分』、「縁起」についても、それが実体であるかのように、多くの学者などが論争している。
テーラワーダと日本の仏教は全くの別物だと思っておいたほうがいいですね
学ぶべきは仏陀の言葉のみですね。
仏陀の言葉すら執着になると思うだけど、、、
@@readme-zc9twそれは違います。
難しいな。結局仏陀も一般人に理解してもらうのを最初は諦めてたから。特に無知な人間は物事を都合のいいようにしか捉えないから仏陀の言葉さえ間違って解釈してしまう。段階が進んでいくと仏陀の言っていたことはこういうことだったのかって後々分かるけれど。自転車に乗って進む原理を聞いて理解したような気になることと、自分が自転車に乗れるようになることは別の問題だから。結局自分の状態を認識できているかどうか、そしてそれをコントロールできるかどうか。気に入らないことがあったらギャアギャア怒り散らかす猿にこのことを言っても理解してないだろうな。むしろ、自分は自分の状態を正確に認識できていると錯覚し出す。あくまで仏陀はこの猿状態から抜け出すための方法を体系化しただけ。 その話に対して後から猿がごみみたいな解釈を付け足してる。そもそもそんな知能があるなら猿状態になんて陥らない。猿と関わっても時間と労力が無駄になるだけ。
とある景色をどんなに高解像度のカメラを用いて撮影したとて、写った画像がその景色そのものにはなりえない。しかし、その画像は真実その景色を映したもの以外の何ものでもなく、景色そのものの価値を寸分も奪うものではない。言葉の中に真理はないが、真理は言葉によってその存在を浮かび上がらせる。
ありがとうございます。ただ、白隠禅師の言葉は、誰にでも仏生がある、ということを言われているのだと思います。ちなみに、世界が幻覚であるということは、日本仏教の基本の一つである唯識論で言及されているかと思います。あと、仏教と科学は違うのではないでしょうか?俗物が生意気なことを言って恐縮です。修行によって悟りに達せられたかたに失礼を承知で一言。
✕仏生 = ○仏性
確かにあまり触れられてなかったと感じますが、万物に仏性があるというアイデアはあるでしょうね長老に言わせればじゃあどうするのという話になると思いますが長老の科学という言葉で私の知っている限りでは、sientific(科学的)という表現も使われていますそれは中身のデータではなく手法の問題であり、また自然科学や行動経済学といった広義の科学で、実際に検証して再現できる学問という意味かと思いますテーラワーダが標榜するのは何人も試して、確かめてみよと偈にあるように、広く再現性のあるものらしいです
@@バス道 無我なのだから人に仏性があるというのも明らかに間違いである。
ゴミの山なんだなぁ
概要欄に引用されている『坐禅和讃』では水と氷の比喩で語られていますが、大乗仏教では海(海水)と波の比喩がよく使われますね。大乗起信論にも出てくるし、ティク・ナット・ハンもよく波と海の比喩を使っています。なので、「衆生本来仏」というのは、氷は本来水であるということ、あるいは、波は本来海水であるということを言っていると思います。そしてそれはかなり理解しやすいことだと思います。それに対して、「仏」を「大日如来」に置き換えて、それを「神」に近づけて大乗仏教を批判するのは、かなりピントがずれていると思いました。良い批判ではありませんね。
スマナサーラ長老、日本に仏陀の教えを伝えに来てくださり、ありがとうございます。
RUclipsで繰り返し仏陀の教えを聞くことができる奇跡✨ヴィパッサナー瞑想者は痺れます。
ありがとうございました。
20:40 自分用
🪷生きとし生けるものが幸せでありますように🙏配信ありがとうございます。
何時も見ています。動画の御配信有難うございます。
いつも最高に痛快な法話を!ありがとうございます!!🙏
生きとし生けるものが幸せでありますように( ^∀^)
あらゆる宗教概念、存在論などは成り立たないということですね。ものすごい智慧ですね。
三宝に感謝!!
配信ありがとうございました😊
30:00〜 奴隷遺伝子のお話。
本来の仏教と他宗教の違いを明確に説明されたように感じました。最後の「ゴミ山掃除」も、なるほどなぁ…と1人うなずきながら聞いていました。
この認識が失われて?大乗仏教やテーラワーダ内でも、人間の本性に抗えず違う方向に頑張ってしまうのでしょうか?
日本人は文化的にアニミズムが根本にあって、万物に神が宿るということに無意識に賛同してるから全てに仏が宿るという言葉も受け入れやすいのかな、思いました。これは直感であって、理性的であれ、という教えとは反しますね。
ああ、私はゴミの山であったのか・・・。
この動画はすごいですね、空とは有であり無である量子力学の世界ですから、それを2600年前に圧倒的な体感で悟られたお釈迦様はほんとにすごいです
そのお釈迦様の教えを現在まで忠実に伝えて下さっている長老始め協会の皆さまのご尽力に感謝申し上げます🙏
あらゆるジャンルに言える事ですが、
死ぬほど頑張って解る、
微妙なことがあります。
誤解を恐れず言えば、武道やスポーツなどに多い…。
微妙な間合い、勘。
言葉で考えていたら、到達出来ない。
いい大学出ているのにダメな人がいる。
実社会の厳しい事実社会、実際を知らない。
文字としは正しいが、実際にはそうではない。己を含め、醜く弱い人間を知らない、解らないから。文字を何字数えても解る訳はない。
一切は空なり。上座仏教も大乗仏教も無い。言葉があるだけ。一切無執著。
『衆生本来仏なり? すべての宗教哲学に引導を渡す56分』、「縁起」についても、それが実体であるかのように、多くの学者などが論争している。
テーラワーダと日本の仏教は全くの別物だと思っておいたほうがいいですね
学ぶべきは仏陀の言葉のみですね。
仏陀の言葉すら執着になると思うだけど、、、
@@readme-zc9twそれは違います。
難しいな。
結局仏陀も一般人に理解してもらうのを最初は諦めてたから。
特に無知な人間は物事を都合のいいようにしか捉えないから仏陀の言葉さえ間違って解釈してしまう。
段階が進んでいくと仏陀の言っていたことはこういうことだったのかって後々分かるけれど。
自転車に乗って進む原理を聞いて理解したような気になることと、自分が自転車に乗れるようになることは別の問題だから。
結局自分の状態を認識できているかどうか、そしてそれをコントロールできるかどうか。
気に入らないことがあったらギャアギャア怒り散らかす猿にこのことを言っても理解してないだろうな。むしろ、自分は自分の状態を正確に認識できていると錯覚し出す。
あくまで仏陀はこの猿状態から抜け出すための方法を体系化しただけ。
その話に対して後から猿がごみみたいな解釈を付け足してる。
そもそもそんな知能があるなら猿状態になんて陥らない。
猿と関わっても時間と労力が無駄になるだけ。
とある景色をどんなに高解像度のカメラを用いて撮影したとて、写った画像がその景色そのものにはなりえない。しかし、その画像は真実その景色を映したもの以外の何ものでもなく、景色そのものの価値を寸分も奪うものではない。
言葉の中に真理はないが、真理は言葉によってその存在を浮かび上がらせる。
ありがとうございます。ただ、白隠禅師の言葉は、誰にでも仏生がある、ということを言われているのだと思います。ちなみに、世界が幻覚であるということは、日本仏教の基本の一つである唯識論で言及されているかと思います。あと、仏教と科学は違うのではないでしょうか?俗物が生意気なことを言って恐縮です。修行によって悟りに達せられたかたに失礼を承知で一言。
✕仏生 = ○仏性
確かにあまり触れられてなかったと感じますが、万物に仏性があるというアイデアはあるでしょうね
長老に言わせればじゃあどうするのという話になると思いますが
長老の科学という言葉で私の知っている限りでは、sientific(科学的)という表現も使われています
それは中身のデータではなく手法の問題であり、また自然科学や行動経済学といった広義の科学で、実際に検証して再現できる学問という意味かと思います
テーラワーダが標榜するのは何人も試して、確かめてみよと偈にあるように、広く再現性のあるものらしいです
@@バス道 無我なのだから人に仏性があるというのも明らかに間違いである。
ゴミの山なんだなぁ
概要欄に引用されている『坐禅和讃』では水と氷の比喩で語られていますが、大乗仏教では海(海水)と波の比喩がよく使われますね。大乗起信論にも出てくるし、ティク・ナット・ハンもよく波と海の比喩を使っています。
なので、「衆生本来仏」というのは、氷は本来水であるということ、あるいは、波は本来海水であるということを言っていると思います。そしてそれはかなり理解しやすいことだと思います。
それに対して、「仏」を「大日如来」に置き換えて、それを「神」に近づけて大乗仏教を批判するのは、かなりピントがずれていると思いました。良い批判ではありませんね。